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終活博士ブログ

2020年08月24日
第9回【「家族葬」と「軽霊柩自動車」 考案者:高見親子】

葬儀形式の1つである「家族葬」という言葉は、今では当たり前の言葉となりました。

その形ができたのがいつからかなのか、正確には定かではありませんが、
私の知る範囲では、宮崎県宮崎市に本社があった「みやそう」(ファミーユ)の
高見伸光社長が最初に考案されたのだと記憶しています。

「家族葬」が始まったのは今から約20年前、当時、宮崎市でNo.1の葬儀社であった「みやそう」さんの近くに
大きな葬儀会館が建設され、「みやそう」さんは経営危機に陥られました。
その時に高見社長が考えられたのが
利便性が良く、少人数で葬儀が行えるよう小さな会館を各地域ごとに建設し、費用の安い葬儀を提供していく
という形式でした。

これが消費者のニーズにマッチしました。
煩わしい葬儀よりも、心のこもった葬儀で、家族だけでお見送りする
こういった考えが浸透し、宮崎県内を中心に九州地区に家族葬会館を展開され、経営危機を乗り越えられたのです。

その後、全国的に「家族葬」が波及し、現在のように多くの地域で家族葬が行われるようになりました。

 

私は、高見信光社長とは面識のある程度ですが、
社長のお父様である故高見忠典さんには学生時代より随分お世話になりました。

 

忠典さんは、今から約50年前、葬儀社は霊柩車を持たないと仕事ができない時代に
当時、認可制だった霊柩自動車の認可を下ろそうと尽力された方でした。

認可制とはいえ、当時の霊柩車はなかなか認可が下りないものだった為、
既に認可を受けている葬儀社へ連絡をし、出棺や病院へのお迎えのお願いして使用するしかありませんでした。

今では考えにくいのですが、当時は霊柩車を所有していることが葬儀社にとっての特権でした。

その為、なんとか霊柩車の認可を下ろしたいと尽力されたのが忠典さんでした。

忠典さんが考えられたのは
普通自動車は認可が下りにくいが、軽自動車には規制はないのではないか?」でした。
当時、軽の霊柩車は認可されておらず、アメリカの占領下にあった沖縄のみ唯一認可されている状況でした。
そこに目を付けられた忠典さんが「沖縄での認可が可能であるならば……」と
運輸省と話をして、九州で初めてその認可を得られたのです。

そこから全国に軽霊柩自動車の認可が広がり、後に忠典さんが会長となり全国霊柩協会が設立されました。
軽霊柩自動車の普及により、葬儀業界に普通自動車の霊柩車がなくても葬祭業ができることになり
全国で新たな葬儀業者が誕生する大きなきっかけとなりました。

このことで葬祭業界は多く変革し、
軽霊柩自動車を持つ葬儀業は既存の葬儀社よりもいち早く葬儀会館の建設に着手し、
葬儀が自宅やお寺ではなく会館でする時代と変わっていきました。

 

今回は家族葬と軽霊柩自動車の話でしたが、
私の中では日本の葬儀業界を大きく変えたのはこの高見親子だと思います。

また、故高見忠典さんは今でも私にとっての恩師のような存在でもあります。

 

 

 

 

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