- 2022年10月11日
- おくのほそ道
「古池や 蛙飛びこむ 水の音」
「五月雨を あつめて早し 最上川」
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」
上は、日本人なら誰でも知っている俳句です。
それらを詠んだ俳人と言えば――そう、松尾芭蕉です。
10月12日は、その松尾芭蕉の忌日と伝えられています。
芭蕉は今の伊勢市の出身で、晩年の紀行文「おくのほそ道」は非常に有名です。
奥州・北陸道を巡り美濃までの道のりで滞在した地の様々な句を詠んだ俳諧ですが
「実は芭蕉は忍者だった?」とする都市伝説があるのをご存知でしょうか?
・芭蕉の出身である伊賀が、伊賀忍者という戦国最大の規模の忍者で有名であったこと
・2400kmの道なき道の旅路を約5ヶ月間で歩くのは非常にスピードが速いこと
・江戸時代は庶民が気楽に旅に出られる時代ではなかったのに、
裕福ではなかったはずの芭蕉がなぜ遠い東北や北陸へ行けたのか
などの疑問が「松尾芭蕉=忍者」だと辻褄が合うから、が忍者説が浮上する理由だそうです。
信長が本能寺の変でも舞ったとされる「敦盛」からも分かる通り
当時「人生50年」とされているような時代です。
芭蕉自身も50歳で没しており、旅に出たのがその4年前というのですから
いかに芭蕉が晩年まで健脚であったかが分かりますよね。
「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」
10月8日、芭蕉が最後に読んだとされている句です。
その葬儀には焼香に駆けつけた門人は80名、会葬には300余名が訪れました。
最後の最後まで、己が人生を賭した俳句を詠んだ松尾芭蕉。
「自分の生涯は○○だった」と言えるものがある人生は何より誇れるものだと思います。
そんな最期が迎えられるよう、日々を過ごしてゆきたいですね。
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